【ロシア民謡】栄えある海、聖なるバイカル "Славное море — священный Байкал" の和訳と解説
概要
政治犯の逃走を歌った作曲者は不明のロシア民謡。作詞はD.P.ダヴィドヴァ。
栄光の樽は脱獄に使った樽。
日本語訳
1
栄光の湖、それは聖なるバイカル湖
栄光なる樽はオムリの樽
さあ、バルグジンに吹く風よ、波立たせてくれよ
よくやった、そう遠くまでは泳がないだろう
2
長い間鎖を引きずり
アカトゥイの山を歩いてきた
古き同志の助けで
僕は自由の身となったのだ
3
シルカやネルチンスクは今や怖くない
山の番人も私を捕まえはしなかった
森の人食獣も息をひそめ
弾丸は当たらず通過していった
4
昼も夜も私は行く
街では注意深く周りを見渡す
とある人はパンを給餌してくれた
男たちからは煙草をもらえた
5
栄光の湖、それは聖なるバイカル湖
栄光なる帆はボロボロのカフタン
さあ、バルグジンに吹く風よ、波立たせてくれよ
雷が轟くのが聞こえる
原詩
1
Славное море — священный Байкал,
Славный корабль — омулёвая бочка.
Эй, баргузин, пошевеливай вал,
Молодцу плыть недалёчко.
2
Долго я тяжкие цепи влачил,
Долго скитался в горах Акатуя;
Старый товарищ бежать научил —
Ожил я, волю почуя.
3
Шилка и Нерчинск не страшны теперь,
Горная стража меня не поймала,
В дебрях не тронул прожорливый зверь,
Пуля стрелка — миновала.
4
Шёл я и в ночь, и средь белого дня,
Вкруг городов озираяся зорко,
Хлебом кормили чалдонки меня,
Парни снабжали махоркой.
5
Славное море — священный Байкал,
Славный мой парус — кафтан дыроватый,
Эй, баргузин, пошевеливай вал,
Слышатся грома раскаты.
視聴
【フィンランド民謡】カレリアの丘 "Karjalan kunnailla" の和訳と解説
- 概要
- 日本語訳
- 原詩
- 視聴
- カレリアの丘
- カレリア共和国の国歌
概要
フィンランド民謡『カレリアの丘で / Karjlan kunnailla』は現在はロシア領となっているカレリア地方*1の自然を歌い上げる曲として有名で、カレリア地方で演奏されていたものをヴァルテル・ユヴァが詞を書いたものが定着しています。この曲はカンテレで演奏されることが一般的ですが、カンテレ奏者の間でもこの曲は古臭いという認識を受けています。
ちなみに、この曲はロシア領の「カレリア共和国の国歌 / Гимн Карелии」にも導入されており、独自の歌詞が付けられています。
続きを読む【和訳付き】ポーリュシカ・ポーレ(ロシア歌謡)"Полюшко-поле"
概要
ポーリュシカ・ポーレ(Полюшко-поле)は、人気が高いソヴィエト連邦の音楽です。
世界的にも名が知られている方の軍歌で、ソヴィエトロシア外においても様々なアレンジが加えられ広まっています。日本では昭和時代、仲雅美によるものが人気をとったようです。仲雅美のポーリュシカ・ポーレは恋愛ソングとして歌われています。
続きを読む【和訳付き】ロシア連邦の国歌"Гимн Российской"
- 概要
- 日本語訳
- 原詩
- 視聴
概要
ロシア連邦の国歌は1940年代に作曲されたアレクサンドル・アレクサンドロフの「ソヴィエト連邦の国歌」に、ニキータ・ミハルコフが新たに歌詞をつけたものが原型となっています。
ソ連崩壊後、ロシアではボリス・エリツィン大統領がミハイル・グリンカ作曲の曲を国歌として定めましたが、この曲には公式な歌詞がありませんでした。(ただし、歌詞をつけようとする試みはあったが、結局最後まで定められず。)
「愛国歌」はなかなか定着せず、公式の国歌として定めることができなかったため、大統領令をもって国歌として定められました。
議会で比較的勢力の強かったロシア連邦共産党を中心として、「ソヴィエト連邦の国歌」の復活を要求する声が多々あり、エリツィン大統領に代わり大統領になったウラジーミル・プーチンは、2000年末に「ソヴィエト連邦の国歌」のメロディーを復活させる国歌法を制定。共産主義を思わせるような歌詞を修正し、2001年1月1日にロシア連邦の国歌としてよみがえらせました。
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